省エネ・温暖化防止・リサイクルに貢献するグラスウール断熱材
 


 ところで、環境問題ってなんだろう?


暑い、寒い、文句たらたらの人ほど
“快適空間”に無関心である。

四季の変化が潤いをもたらす
 

 地球上のすべての動植物は、それぞれ自分たちに適した環境のなかでしか生きられません。ですから、異変が起きるなどで環境が変わると、適した環境を求めて移動したり、新しい環境に慣れるというか“進化”することで対応してきました。
 人間が生きられる環境は、気温でいうとマイナス30℃からプラス40℃位まででしょうか。適温は25℃前後で、この環境であれば暑さ、寒さ対策を特段考えなくても快適に過ごせます。ですが、1年中快適な25℃前後の気候が保たれている地域は地球上にありません。それは地球が23度ほど傾いて太陽の回りを公転しているため、太陽から受ける光や熱の位置が変わってくるからです。これが季節ということになります。
 なんだか、理科の勉強になってしまいましたが、日本が位置している地域は四季がはっきりしている温暖地域で、比較的過ごしやすい環境にあるといっていいでしょう。四季の変化が潤いをもたらし、独自の住まいや暮らし文化を形成してきました。
 緯度の低い地域は1年中夏で雨期と乾期の二つしか季節がないところもあれば、緯度が高くなるとつかの間の短い夏が訪れるだけでほとんど冬という地域もあります。
 人間は他の動物に比べると地球上で最も広範囲にわたって分布しています。それは、暑さや寒さを凌ぐ知恵を持っていたからからにほかなりません。いまでは、南極越冬隊のように食料を持ち込めば厳寒の地でも生命を維持することが可能です。

地域の気候・風土を知る楽しさ
 

 このように、俯瞰(ふかん)的な視点で地球をみると、それぞれの地域の気候、風土に適応して生きるための先人の努力が、さまざまな地域文化を形成してきたことが分かります。生き物のなかで人間だけが旅行といういうものを好むのですが、たとえ観光旅行であっても他の地域の文化を知り、学ぶことが楽しいからではないでしょうか。
 私も、仕事がら地域文化が集約化される住まいや生活を知りたくて、いろいろなところを旅行してきました。それは、体験したことのない異文化と交流する楽しさとともに、日本の特色を再認識することにもなりました。
 後から振り返ると、ほんの些細な体験が印象深く記憶に残っていることが多々あります。中国とベトナム国境地域に暮らす少数民族の高床式住居を訪ねたとき、移動中の路上で農家の人がスイカを売っているのをあちこちでみました。
 水分補給のために、ことあるごとにそのスイカを買って食べていたのですが、「いまはスイカの収穫期なんですか」と聞くと、売り手のおばさんは怪訝な表情をするのです。それはこういうことでした。スイカは種をまき一定期間経つと実るものなんです。亜熱帯地域なので春に種をまき夏に収穫するということではなく、1年中栽培できる。なるほど、と苦笑いしてしまいました。
 また、インドが世界に自慢する建築物といえばタジマハールですが、私も見学に行って来ました。神聖な場所ということなのでしょう、建物の内部に入るには土足が禁じられ、靴を脱ぐことになっています。
 靴を脱いだとたん灼熱の太陽に炙られた、あの白く美しい大理石から発する熱が足の裏を直撃、まともに立ってなどいられず、踊っていました。でも、インド人は平然と裸足で歩いています。建物の内部に入り、地下室に行くと、今度は一転してひんやり、足の裏から冷気すら感ずるほどです。これは荘厳な霊廟から発せられる霊気だけのせいではありません。
 こうした身近な体験から、その土地の気候・風土を知る経験は、誰もが持っているのではないでしょうか。


冷や暖の取り方に情緒があった
 

 人間は住んでいる地域の気候・風土との折り合いを付けて暑さ、寒さを凌ぐことが大切です。自然環境との共生を目指すことが、健康を維持することにもつながっていくと思います。
 近年、冷暖房機器が登場して室内の温度をコントロールすることが簡単になりました。手元のリモコンスイッチでピッピッと温度設定するだけす。便利な世の中になったもんです。闘病生活を余儀なくされている人などは、蒸し暑い部屋にいるよりも直りが早いかも知れません。
 しかし、日常生活のなかで冷暖房機器にばかり頼っていると、人間本来の野性味を失ってしまい抵抗力のない身体になってしまいます。「暑い!クーラーを入れろ」「よく、こんな部屋に住んでられるナァー」「この機器はもう古い、強力なやつに買い換えろ」など文句ばかりいっている人がいます。
 こうなると、我が儘を通り越して機器の奴隷化状態です。地域の気候・風土がどうのこうのなど聞く耳を持ちません。そのうち、強力な冷暖房機器が設置された閉鎖的な空間から一歩も外に出られなくなってしまうでしょう。果たして、そうした空間は快適なのでしょうか。
 冷暖房機器が発達していなかった頃の日本人には、冷や暖の取り方に情緒がありました。蒸し暑くなると窓を開け放し、風を通し風鈴を下げます。真夏になればかき氷や冷えたスイカを食べ“冷たさ”を味わったのです。これに扇風機でもあれば人心地つくといった感じです。
 暖についても、寒くなるとどてらを着込み、火鉢に手をかざして“温い”と気持ちを落ち着かせる。コタツの温もりは格段で幸せでした。
 こうした暮らしに戻ろうというのではありません。冷暖房機器がなくても“快適な空間”がそこにはあったし、確たるものだった、ということです。
 いつの頃からか、快適空間は人工的につくらなければならないもの、という思い込みが支配的になってしまいました。この方向を推し進めるには限界があり、科学技術と自然環境との調和が求められています。