「勝てば官軍」という言葉がある。
しかし負けて「賊軍」と呼ばれようが、そこにもまた人間の営みがあり、尊い歴史が刻まれる。やがて「もうひとつの歴史」は時を経て新たな果実を結ぶ。
明治維新の権力抗争で、東北の「奥羽列藩同盟」は「薩長軍」に撃破された。会津の白虎隊の悲劇は、よく知られるところだ。
先日、私が訪れた山形県の新庄も戊辰戦争で官軍から朝敵の拠点とみなされ、焼き尽くされた町である。一帯は焦土と化した、かにみえたが、後背地には立派な杉や松の山が控えていた。人々は、木を切出し、太い梁と柱で家を再建した。
それから百数十年……がっしりと黒光りする古材が、最新の断熱施工で甦っていた。
海藤剛さん (37) のお宅も、そんな古民家を再生した住宅だ。
最上川べりに立っていた古民家を、いったん解体。弱っている柱の足元を工場で切りそろえて磨き上げ、コンクリート基礎の上に組み立てた。柱は松が中心。軸組みは、 100 パーセント昔のままだが、設備は近代的である。
屋根は厚い茅葺きを取り外し、 200 ミリのグラスウール断熱パネルを敷きこんでいる。古民家の解体から竣工まで4ヵ月。延べ床 51 坪の「新築住宅」となった。
海藤さんが古民家再生を思い立ったのは 6 年前、土木設計技術者としてスリランカに赴任していたころに遡る。妻と長男が滞在していた年の瀬、民族抗争による爆弾テロが起きた。海藤さんは、慌ててホテルに連絡したが、家族は不在。買物に出ていた。繁華街は血の海だと聞き、彼は蒼ざめた。
「ふたりから目と鼻の先で爆発が起きたんです。幸運にも無事で、心底、ほっとした。そのあと、家族で、衛星放送の紅白歌合戦を見ました。ジーンときた。雪に古い家がたたずむ映像が流れ、穏やかな日本の文化っていいなぁと感動しました。家を造るなら、やっぱりこれだ、と密かに決心たんです」
だが、帰国し、いざ建築となると話は簡単ではない。妻の純子さん( 38 )は「和風の家にする」と夫から聞かされ、首をひねった。
「私は親が転勤族で、木造の借家を転々としました。建てるのならモダンなコンクリート住宅がいいなぁ、と……」
最終的に夫のプランを後押ししたのは「価格」だった。とかく「省エネ住宅は高い」と思われがちだが、建築工事費が坪当り 60 万円(土地代別)に収まったのだ。
「ほんとにこの値段でできるの? と半信半疑でした。同じ方法で先に建てられたお宅を訪ね、話をじっくりお聞きし、納得したうえで建築にかかりました」と海藤さん。
コストダウンの秘密を、施工を担当した沼田ハウスの斎藤由志さんが語る。
「たいていの古民家は、寒くて、使いにくく、汚れている。持ち主は壊して新築したがっているけど、リサイクル法の影響で分別解体費用が高騰。壊すだけで 100 万円以上かかります。新築へ踏み出しにくい。そこで時機をみて、解体費用はこちらで負担するので古材を譲っていただきたいと提案するわけです。合意すれば解体費=材料費になる。
建てた時点で 70 〜 80 年育った木を使っているので、足かけ 200 年以上使った材です。カンナをかければ、新材と同じ。強度も申し分なし。構造的にも問題ない。これだけの材料、他の地域では手に入らないでしょうね」
20 キロほど離れた元の場所からの運搬費用は 20 万円ほどでおさまっている。もしも、首都圏まで運んで再築するとなると……。
では、実際の住み心地はどうなのだろうか。
一家は、この家で二度の冬を越している。海藤さんは言う。
「冬、暖かいし、夏は涼しい。申し分ないですよ。ただ、鴨居下が昔の寸法の 5 尺 7 寸と低く統一されているので、光が入る開口部がやや小さいことが、ちょっと気になるかな」
純子さんは、先入観が覆されたと言う。
「初めて、この家で目覚めた朝、時間が止まっているようでした。すべてがなじんでいて、守られている感じ。高断熱・高気密なので音が遮断され、静かです。以前の家は、二重窓だったけど冬場、結露が凍って窓が開かなくなりましたが、ここは結露もない。 24 時間換気が働いているせいか、空気の澱みもないですね」
すでに高気密・高断熱工法で古民家再生を数軒手がけている斎藤さんは、その魅力を「日本人のDNAへの覚醒」だと言う。
戊辰戦争で辛酸をなめた先祖が家に込めた願いや夢が、省エネルギー技術によって新しい息吹を吹き込まれている。
家とは、本来、そのようにして受け継がれていく「器」なのかもしれない。
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