桜の季節がやってきた。狂おしく咲き乱れる桜の下に入ると、誰しも無常観、生命の美しさ、はかなさを感じずにはいられない。自然は循環する。
日本の建築界は、大きなターニングポイントにさしかかっている。02年に緊急経済対策の一環として制定された「都市再生特別措置法」 (10年時限 ) をテコに大都市の中心部には超高層タワーがどんどん建てられている。一方で、郊外の落ち込みぶりは凄まじい。高度成長期「憧れの街」として建設されたニュータウンは、住民の高齢化とともに建物の老朽化が進行。コミュニティの維持に難渋している。住宅政策は転機を迎えた。
このほど上梓したノンフィクション単行本『マンション崩壊』 ( 日経 BP)では、こうした社会構造的な問題を「欠陥建て替え」や「景観」にまつわる紛争を糸口に掘り起こした。ふだん、私たちは、身近な問題が、じつは日本の仕組みや歴史、文化に深くかかわっていることを意識せずに暮らしている。しかし、危機に直面したとたん、制度の歪みがクローズアップされ、右往左往することになる。重要なのは、その背景を認識しておくことではないだろうか。建設業界に携わる人たちも、家に帰れば一消費者、一住民、一市民であろう。他の産業分野で働く人々と同じように「生老病死」という宿命を背負っている。その「人間の運命」に発想の基点を置き、「いい建物を、手を入れつつ、いかに永く使い、継承するか」という建築の心を、領域を越えて共有したい。越えにくい垣根があるのならその存在を明らかにしよう。それが新著を出した最大の動機である。
この一年、わが家にも転機が訪れた。去年のいまごろは、どんな外断熱住宅になるのか、正直言って不安だらけだった。根伐りの穴が掘られ、地盤強度を測るために重機が置かれた。幸いにして地盤は問題なく、基礎の断熱から徐々に拙宅は建ちあがっていった。
しょっちゅう現場を覗くのも嫌味だと思い、夜明け間もなく、職人さんたちが集まってくるより早く、散歩がてら工事中の建物を眺めに行った。半透明の幕の向こうに家がセリあがっていく様は、現実離れした「不思議な感じ」がしてならなかった
つくづく「現場監督」のリーダーシップ、調整力が重要だと知った。たとえば雨模様の空の下、「コンクリートを打つか、どうか」の判断も監督の判断にかかっている。うちの現場監督・タシロさんは、30代半ばの闘志を内に秘めたタイプの人だった。「監督」という厳ついイメージにはほど遠く、物腰は穏やかそのもの。RC外断熱の現場をいくつも経験しており、技術を見る目に定評があった。限られた工期のなかでも、大雨が避けられないとみるや、彼は発注していたミキサー車を帰した。流されない人だな、と感じた。
ある日、彼は年配の職人さんと話しこんでいた。工事の段取りで手違いがあったようだ。タシロさんは頭ごなしに責めるのではなく、諄々と諭して「やり直し」を促していた。断熱施工の要=グラスウールの外壁圧着においても、自ら隣家との狭い隙間に身をよじ入れ、きちんと断熱材が入っているかどうか、チェックをしていた。
彼のなかには「ここはオレが造った家」というプライドがある。完成後、私は、どうしても室内に木製の桟をとりつけたくなった。チョコッと衣類や帽子をかける突起がほしいのだが、内装がコンクリ打ちっぱなしなのでネジひとつ簡単に取り付けられない。
タシロさんに電話をして訊いてみた。
「振動ドリルってあるでしょ。どこのメーカーのものがいいか教えてくれない?」
「どうするんですか、ドリル、買って?」
「あれを使えば、コンクリにも穴をあけられる。ハンガーとか、掛ける器具を取り付けたくてね」。しばし沈黙の後、タシロさんは言った。
「……や、やめてください。ヘタに穴をあけたら、大変なことになりますよ。鉄筋をブチ切りでもしたら、取り返しがつきません」
「でもさぁ、ハンガー、掛けたいんですよ。ツルツルの壁じゃあコートも掛けられない」
「僕が、やります。どこに何を取り付けたいか、決めておいてください」。
数日後、忙しい仕事の合間を縫ってタシロさんはやって来て、こちらが準備していたコート掛けを壁に取り付け、「これで大丈夫」と納得して帰って行った。建物をキズモノにされたくない。強烈な自尊心が頼もしく、また、ありがたかった。
どう逆立ちしても、自分ひとりで家を造ることはできない。グラスウールに包まれた空間は、想像以上に温かく、安心感を与えてくれた。いろんな人に支えられて建物はできてゆくものだなぁ、と、いま、しみじみ感慨が募る。だからこそ、「いい建物を、手を入れつつ、いかに永く使い、継承するか」という建築の心を、皆で共有したいのだ。
建築プランナーのイシカワさんが竣工記念に贈ってくれた「ハナミズキ」は、秋に樹勢が衰え、弱々しく葉を落とした。猫の額ほどの庭は、その底が大地とつながっていない。深く掘った穴にコンクリートを敷き、黒土を入れて造った庭である。大きなプランターといえよう。土が大地と切り離されていることでハナミズキの命脈は尽きた、と感じた。
ところが、すっかり枯れたものと思っていたハナミズキの枝々が、春を迎えて小さな葉を吹き、極小のタマネギみたいな花芽が、ゆっくりと開いた。起死回生とはこのことだ。自然は、人智を超えて循環している。狭い庭も、地球の上に載っている。転機をいかに「好機」に変えるか。都市の未来を、じっくりと考えていきたいものだ。
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